ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

遅刻によって、隷属を望む自分を知る

 久しぶりの遅刻。最近は、夜、眠ることができない。なぜなんだろう。確かに、眠る前にブルーライトをしこたま浴びている。勤務時間は、ホテル内故に、日の出る時刻に、日光に浴びることができない。一般に膾炙した理由に、確かに心当たりはあるが、これまでは、それでもなんとかなってきたのに。

 一つ、思いついたのは、ベットが上等なためか。大谷翔平選手が使うとプレスされる、AIRシリーズのベット。客室寮になって当初、やり〜と、嬉しくてダイブまでしたが、寝てみてわかった、人体工学、睡眠科学、あてにならん、と。

 これまで、せんべい布団や、ネットカフェの固固マットレスに、世話になってきた。それら単体では、眠るに物足りず、睡眠前にいつも、気功やゆる体操、その他自律訓練法に似た、心の訓練を修習してきた。それらの習慣は長く、丁寧に続けられた故、深層筋の操作どころか、脳波、心拍、そのらのコントロールまで可能になった。

 が、適当に上等なマットレス故に、最近、これらの訓練をなおざりにしてきた。故か、起きると、脊柱起立筋を主として、腹横筋、腹斜筋等腹回り、ローテーターカフ(肩部の旋回を担う筋群)の血流の停滞、痛み、それらに加えて、脳の奥の濁り、全身の薄い倦怠が感じられる。

 作り広める彼らの責はない。一般に良いと喧伝されるものは、事実の良い点のみに集中を凝らせるように、さまざまな認知誘導技術を駆使して、何が良いのか、という自ら思案すべき事柄さえにも、目が向かない様、工夫を凝らしている。大した技術だ。景品表示法、バンザイ。ユタカナセカイに貢献する、影の立役者。と言いつつ、現状、これが僕の見える最善である以上、皮肉は僕の知性そのものにブーメラン。いてぇなぁ。

 枕元の電話が鳴る。瞬間、心模様が一変、不安と焦燥、罪責感に侵襲される。呼吐、長息。ゆったりとした動作に切り替えながら、一服。自分におきた事柄を観察する。

 恥ずべきことだ、湧き上がる情意の淵源を認識し、丁寧に鎮める。準備は万端、始めよう。

 不安と焦燥、これらは想像される未来に、禍事が降りそそぐと、理性によって計算されたものだな。では、環境とそこに佇む自己モデルは、どの様に計算されたものだろう。

 環境。同僚は、怒る、もしくは嫌悪すると、考えているのだな。彼らとの応対の経験は、懐の深さや、豊かな情愛を感じさせなかった。笑い合うこともあったな。けれども、第三者として適当な距離をとられた上で、だったな。彼らの社会適応、和から外れたくないという、不安が動機故に、打ち解け合う、という手応えは、まるでなかったな。そのような認知が、遅刻が笑われて、そんなこともあるさ、と言われ、肩を叩かれる未来の可能性を、絶滅させたのだな。

 自己モデル。僕の能力では、遅刻を笑いに変えることはできないな。快活さと、相手のツボを瞬時に見抜いて、射抜く。そのような能力の向上に、真剣になってこなかったな。負担を負わされた、と自認する人に、負担を負わした側が、快活にさせる。すごいことだな。

 あと、社会通念の問題だな。罪悪感、無価値だな。法への隷属化、権勢者が我々から生命力を吸うために開発された道徳観念。元は、命の使い方にについて、真剣に考えられたものなのにな。今は国民主権、法は皆で決めるもの。でも、支配層、まだいるな。というか、支配されたい者、跳梁跋扈、百鬼夜行だな。昼なのに。支配されたい者が、当たり前に空間を占拠するとき、支配を望まぬ者は、空気を吸えないな。だから、命、負担がすごいな。支配をされることを望む者が、創りあげる社会と法。法の精神、擬人化したらどんなだろう。罪責からではなく、ただ誰かの役に立ち、喜ぶ機会を失った、残念な心地でいたいなぁ。罪責に忍ぶ、なんてことは、今所属する社会集団の有する価値体系が、万端至当の時だけでいいな。

 なんで、現状の属する社会集団への、完全従属への指向が、残っていたんだろう。淋しくて、よしよししてもらいたかったのかな。前進することに疲れたのかな。褒められたことに、愛著が根を下ろしたのかな。疲れて、昔の昔の大昔、お猿さんに戻っちゃたかな。未来の社会像、人間像が、明確じゃなかったのかな。

 タバコ、死ぬ。指、あつい。

 すぅっと、祓う。さて、行きますか。