ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

或る修行者の淫蕩

 深夜、ベットに心身を預け、こころ静かにゆるがす。昼夜の消耗が労われ、ようよう、ゆるゆる、うれしうれしと、こころひろがる。

 反省(時間意識の端緒)への注意はほどかれて、こころの運動にのみ、そそがれる。そそがれて、そそがれて、そそがれて。

 不意に寂しさ、いずこから。染みて、染みて、さすがに見咎める。残り少ない注意力でもって、スワディシュターナチャクラから、サハスーラーラチャクラへと、意識を移す。

 もどる、もどる、うつして、もどる。くりかえし、くりかえし、つかれ、くりかえして、あきらめる。

 犯される、淋しさに。犯される、やるせなさに。チャクラの回転、増しに増し、肉欲淫蕩、邪念の種子が、五体の隅々、五臓に六腑、血の道のみでは飽き足らず、周囲の空間歪ませて、変性させる貪欲さ。

 のたうちまわる。チャクラの振動が、生理システムを駆動して、性感の悦びを五体に開かせる。反り、屈み、捻り、伸ばす。悦びの波は、気道の詰まりに応じ、五体に無様な舞を演じさせる。滑稽と笑う余地もない。悦びに打ち震え、無心に舞う。

 時に想う女性芸能人が、ビジョンの如くみえる。やめてほしい、本当に。でも抗えない。かつて養った心の習性は、今改心して、真剣に淫蕩を脱さんとする決意を、容易に挫く。

 性に悩み、ある時は、ペニスにハサミを当てて、断ち切らんとし、ある時は、いかなる状況でも、瞬時に淫欲を断てるようにと、戦場でのオナニーを仮想し、ある時は、性欲制御の一切を放棄し、カニバリズムに死姦に強姦、果ては死体を切り刻み、陵辱の限りを尽くす懸想に身を任せた。

 性の聖俗の二極を横断し、現在、落ち着いたところは、プラーナヤーマによる身心の変性に伴う、淫欲の縮小だ。理屈は、さっぱりわからん。が、かつて日がな一日、即ち16時間もいじり続けてた、いたずらな行為は、自然と消滅してゆき、もはや、数日に瞬間、AV又はエロ画像のことを想うだけになってきた。それらも、わずかな集中で離れることができる。

 が、夜は別だ。全くの別物だ。僕は、抑圧という精神現象には懐疑的だ。が、この時だけは、自分で注意深く観察し、熟慮を凝らした精神理論を、バックスクリーンにぶち込んで、フロイトに股を開きたくなってしまう。

 淫欲とのつきあいは、まだまだ長そうだ。悪くもないが、良くもない。とりあえず、昇華されたものを、人間文化の所産として丁寧に味わおうか。今は、そんな風に思っている。

 

 補記

 あまり大きな声では言えないが、最近の淫欲は、自らのうちに潜む怪物の勃興、といった印象から外れ、なにか、誰かとつながっていて、そこから淫欲が流れこんでくる、という確かな身体感覚が存在する。これは一体なんなのか。よくわからん。