ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

子どもが与える、ぼくへの影響力

 坊主に期待外れの説教を喰らったミッドナイトより翌朝。期待の旅路は閉じて、旅程の再編に苦慮し、自分自身の望みの確認にさらに痛く、それを限られた時間へ閉じこめるのに絶望して、瞑想に逃げた。でも、旅路を急ぐぼくこそが仮面で、ただ息する無能に興ずる在り方こそほんとうな気がしてきて、断ちて迷う。

 

 いつもは乗らないバスに揺られて、信貴山を下る。旅に出ねば、急がねば。命短きこの生体に、もっと情報を。認識を、身体を変化させる未知なる運動を。そして願わくば、それらを一般化させ整理させたもう。

 矩を超えたらことは承知しつつ、抑える動機を見失った変性への欲求。

 巨大化したそれは、不可能性を帯びて孕み、暗く閉ざす。

 

 明るく清潔なミスタードーナツの、外部に開放的であることを指示するあけすけなガラス作りの端の一席で沈む。

 

 閉じた可能性の天蓋に風穴をぶちあけんと、にごる空気に感じ入りて、参究し、突破口を開かんと勇んで内観する。つかれる。さらに閉じる。

 ガラス越しに子どものぞく。まんまるおめめは、好奇の一色。思わず、手をふった。ぼくを観察して、整理して、彼は駆けていった。まだ扱いづらそうな四肢を、下手に振りながら。次の席へ。

 

 この体験を瞑目して感じている。感じ入りたいぼくの意思を離れて、心は明るくひらかれる。故は不明。勝手に開いたこころは、閉じた可能性を突き抜けるどころか、前段の思惟そのものを成り立たせる意志するも吹きとばした。

 

 なす事を失ったぼくは、今こうして書きものに興ずるより他はなくなった。数週間ぶりの筆、彼によってまたとることとなった。

 

 この体験の因果をひもとく気はない。因果という、主客に引き離された認識を、ぼくは彼によって不能にされてしまった。

 

 ひと時とはいえ、無事に過ごせそうだ。

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誕生日、孤独、命の使い途

 今年も淋しくすごす生まれ日。家族より祝われることを屈辱と、駅に逃げて電車を眺め飽きた日。お陰を期待しない巡礼に、意義を見失っても尚、それしかすることのない虚しさを引きずりながら、歩歩是道場を忘れて、歩みを進めつづけた日。

 

 思い返すに、ろくな過ごし方をしていないな。

 幾たびも、今年こそは淋しくあることを、超剋する、受容すると決意したのでけれども、慢心が修行の邪魔をしたか、散漫な心が鍛錬を厭うたか、今年も落ち込み、さがる日。

 

 面はあげられている。足も動く。ただ、尾をひかれる様はあいも変わらず。

 

 動く手足の使い道をもとめて、行き先を考える。

 天保山観覧車で孤独を深く味わうか、行きなれた神戸大橋下の公園で、孤独をさらに味わうか、西成の合わぬ風の中で、より孤独を味わうか。

 孤独を深めることしか、頭に浮かばない。これでは、来年もまた同じことを繰り返すというのに。

 

 そういえば、引きこもりの時分、さらなる孤独の魅惑に拐かされて、花見に遊んだっけか。あの頃と指向性、変わっていないんだなぁ。

 

 もう孤独を深める必要はない。無常に淋しさを重ねる遊びは、もう飽きた。

 

 これからは、むすびむすばれて、あいあわすことを知りたい。その可能性の地平を開拓したい。

 性。まず浮かび、知りたいこと。モテないぼくには、自由恋愛はまだ遠い。経済活動としての疑似恋愛。ここから始めるよりほかはない。

 と、ここに気づき至って数時間。一歩も動けずにいる。頭だけはよく動く。上下左右にふり乱しながら、悶々と。嫌悪で肉がよく動くこと。

 「あらゆるダイエットに失敗した人たちへ、必見!動かない、しゃべらない、座るんダイエット」

 商品化検討、5秒で諦める。

 

 売女は醜い。文学より無批判に取り込んだ価値観。これは覆した。性文化の担い手たちを知り、現代の住宅、社会、貨幣制度、教育制度が想定し忘れた、人間存在の曖昧さ、もろさより生まれる、喪失と欠落感、それらをカバーする役割を合法、非合法にもち、受けとめるニーズの強い職業。

 念押しに、学びに学んで考えたことを、直接に体験するために、売専を生業と画策し、結果雇われはしなかったが、熱意をもって、偏見の是正に努めた。

 けれども、だめだ。彼女たち、スマホの画面より魅惑をせんと、整形、化粧、美容、衣装、撮影技術を駆使されて華やかに形どられている彼女らをみると、胃はよじれ、頚椎は傾き、正中は歪にくずれる。

 外聞、外見より、それらを成り立たせる内なる運動、その可能性に、耳目を集中してきたかつてのあり方は、自然と内蔵されたる念いと感性とに着目して、彼女たちの内なる可能性を連想させる。依存、承認、自己顕示、他人より奪うか、誇示するか。

 あくまで連想された可能性に過ぎないのだけれど、彼女たちにとなりに座られて、あろうことか、身体を弄られるとおもうと、怖気がする。きもちわるい、とそう感じてしまう。

 

 困ったね、何もできないや。性欲が所以か、どうにもならないこの現状で、もがきたがる不思議。

 

 けれども、彼女たちのことは知らねばならん。人間の形成の成り立ち、発展の地平に意いを凝らす自分としては、現代の性文化の、その基底、これからの展開は是非にも知りたいこと。かつ、ぼくは躰で感じ味わわないと収まらない質。

 行かねば、彼女らのもとへ。必ず行く。苦痛と恥辱が確約されていても。必ず後悔すると分かっていても。知らねば。知りたい。

 4時間、5時間、そのぐらい経ったのかな。疲れて眠る。必ず行くと。

 夢すらみない泥眠。寝過ごした。もういいや。座禅を組む信貴山での朝。

後天の氣の含有量をおぼろに知る方法

 食事量を減らし(断食ができるなら最良)、コンビニの野菜と、丁寧に育てられた野菜(自然栽培等)を食べくらべる。

 

 くちに入れた瞬間、ぶあぁっと、明るく感じるもの、元気がみなぎる感覚が、後天の氣と呼び習わされるものだと、ぼくはおもう。

奥日光にさようなら

 湯ノ屋での最後の勤務、ダウン症等を患う方々の研修旅行を終えて、奥日光、湯元温泉を離れる。

 

 最終日は、ありがたいことに休みで、中禅寺湖へ買い出しに行き、思い出の場所をめぐる。湯の湖畔、菖蒲が浜、スーパーへの道から望む、中禅寺湖の景色。お世話になった、中禅寺中宮祠、温泉神社、温泉寺への挨拶。

 

 本当にうつくしい場所だった。もう、こんなすばらしいところとは、出会えないのだろうな、と光につつまれた、極淡い絶望を抱くほどに。

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 これから、東京、横浜を経由して、京都に遊び、次の勤務地、奥伊根へと向かう。希望に満ちた門出より、なにを感じられうるか。これから、なにがどうなるのか。たのしみだ。

 

いじめられて越す年

 親方は激する。怒りの原因は無秩序で無軌道。理解不能モラハラパワハラ、初体験。怒られてわかる、面従腹背のきもち。やらないけどね、信念に反するから。けど、楽なのだろうなぁと、少しよろめく。

 「汚いからオメェ、出ていけ」

 「バカか、オメェ」

 「親方って呼ぶな、お前なんかに呼ばれたくねぇ」

 「髪を隠せ、バカ」(これは、ぼくの落ち度)

 「邪魔だ、どけ」

 こんぐらいかなぁ、言われたの。

 こっちの落ち度は、彼の怒気に合わせずに、軽やかに声をかけ続けたことかな。彼が、その軽さに苛立つのを知りながら、つづからね。復讐的な動機から発するのではなく、なるたけ、彼の心が軽くなるようにと、願いながら声をかけ続けたのだけれど、効果はなかった。

 残念。対話もできず、それどころか、呼びかけること自体を遠慮する様に、威嚇されてしまった。

 かなしいな。厨房で、女性給仕にぼくの悪口を吹きこむとなりの広間で、いそいそと片づけに励む歳末。得難いかな、おかしくて、つい笑う。

 とどめの一撃。

 業務を終えた彼は、給仕係全員の集まる厨房で、驚くような笑顔とともに「俺のメシはうまいか?」

 ぼく「ええ、とてもおいしいですよ♪」

 親方「お前、長くは生きられんで。せいぜい40までやな」

 ぼく「どういうことですか?」

 親方 東北弁訛りで聞き取れず

 いやあ、参ったね。毒入りなのかな、まかない。

 ゆく年くる年23回、初も初。おめでたいね☺️

 

まかない、催促するや否や〜他愛と自己主張の狭間

 「圧にならないようにね。」まかないを出し遅れた親方へ、女将さんから、気遣うように注意を促された朝。彼女もまた、催促されることを厭い、恐れているのだろうか。その思いが、彼への気遣いとして、祈りの如くに露わになったのか。

 今、昼ごはんがない。それを催促するか迷っている。レトルトで間に合わせることもできる。それで充分でもある。

 けれど、自己を主張しないこと。思いやりと偽り、対立と革新を避けて、流れを停滞させることは、良きことではない。ぼくの関わる組織の悪性、劣性を見逃すことは、ぼくの悪性、劣性を育てることにほかならない。

 けれど、自己主張する動機、そこに、自身が損なわれたことへの不満、怒りはありはせぬだろうか。このような動機から行為するのなら、いかに組織の競争力向上の一歩のためとはいえ、自身の身心を汚すこととなる。うちなる誠実性を押し込め、その誠実な生き方よりくる喜びを感受できなくなる。

 言うか、言わぬか。ただの一言に、なかなかどうして、奥深く潜む社会と生き方。

 かろやかに伝えよう。「昼ごはんありますか?」

中空に漂うということ〜判断の保留に次ぐ保留

 哲学に病んでよりこの方、世界の有り様についての判断を、徹底して差し控えてきた。意図的にスピリチュアルな世界へ傾いているこの頃もまた、然るべくに保つ、この立場。

 魂の存在、その仮定より流れでる霊界と現界との交流について。

 人間の超次元的感性、未来過去を股にかけて感受する認識作用、言語なる抽象記号を越えて受けわたす、明けわたす、あけすけな想い。それは生命の枠におさまらず、モノにさえ通ずるのだとか。

 運命。科学的な決定論に非ず、超越的一者を元とし、その中たゆたい育まれる命のきらめきは、既に決定されているのだとか。選択能力を主張するものもある。

 いずれも、きめ細やかな条件の中で朝夕鍛錬された知識とは異なり、超常の体験と、反省を欠いたドグマに紐づいた知識。悟りという名で、叩き売られる智慧

 けれども、我らが計算能力は乏しく、巡回セールス問題にも苦戦する。5%の宇宙、深海、気象、種の展開から、命の構造さえも計り知ない、わたしたち。

 このわたしたちの常識は、いったい幾千のコペルニクス的転回をむかえれば、構造の実相に辿りつくのやら。

 

 ぼくは、未知にながれる。知られたものは、かがやきを失う。たぶんフェチ。構造の。存在の。

 スピリチュアルの有無は、あまりに逃れ難い命題。智慧を語るその欲得な面貌を尻目に、嘆息しながら想いを募らせる。

 存在ってなんやろなぁ。