ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

加料されない公園のすごみ

 何千年前、そこへ移り、水源を探して、田畑を耕し、営み、ともに暮らし、権限を移譲して任し、所有と市場を発明してからまた数千年。

 

 所有と市場は人間に馴染み、不ニ一体の感すらかもす現代において、公園は自由に無料。

 

 都市生活の憩いとして、日本国の名勝として、自治体国が、ご丁寧に管理清掃までして、あつらえてくださる。

 

 ほんとうにすごいこと。

 

 絶景に付加価値を与えて、加料として表現する、周防大島のホテルで働き、休暇の一服におもう。

 

 すごいことだと。

弟と旅にでる 前日譚

 「このお金があれば、もっと回りたいところを回れる」しかし、高二の夏、受験前の決断のための情報が欲しい時期に、旅へ誘えらば、よりよい選択の手助けができる。なによりも自身に言動に誠実でありたい。

 と思いつつ、ノイローゼで三宮に引きこもり。有金を潰して。

 

 郷里へ鉄籠にふられながら、敗進。習慣の罠をほどけづに苦しむところに、政府より非課税世帯へ物価高の給付金、舞い降りる。

 

 自身のただれたこころ、再度燃え上がらせるため、使いきれていない青春きっぷとともに、前日の夜に誘い、行く。

 弟は、気分を上げていた。「明日!マジで。うぇ〜い」

 旅へ行くことが決まり、計画をたてる。悟性がうまくはたらかず、計画の重さにつぶされて、気勢を削がれて、ついには足腰が沈殿する、不安なかりしためかな。

 

 ともに徹夜で行程を組む。ぼくが提案し、弟が決定する。

 金銭的配慮から、遠く近畿圏、山陽線経由へと絞る。

 弟の要求は、おいしいもの(スイーツ系)、都会の繁華街、アンダーグラウンドな雰囲気のとこ、バンジー

 バンジーは却下、お金ない。空からも跳びたがってた。自分がレイプされたハッテン場を伝えると、そこへも行きたがってた。

 刺激、そんなに欲しいのか。

 かつてのぼくはどうだっただろう。遠くへ逃げるか、美しいものに出逢いたかったな。

 

 尾道からの瀬戸内海国立公園の眺望、岡山駅の意外な都会さ、倉敷の江戸的雰囲気、神戸三宮の盛り場の退廃的雰囲気、神戸牛。大阪新今宮近辺のドヤ街。京都の寺社歴史散歩、和洋とりどりのスイーツ。

 

 選ばれ、3日を埋める旅程は、最寄りの山口市の駅より、岡山駅ぶらり、桃パフェ。夜は神戸散歩。

 神戸より別れ、ぼくは大阪で講演会。弟は大阪ぶらり、夜京都祇園さんぽ。

 最終日、帰る。

 

 ねむいねむいと、深夜2時に散会した旅会議。6時の始発のため、5時出発。

 はてさて、どうでるか、どうなるか、どうするか。

 

 

マンチカンがすき

 もふもふで、みじかくて、まんまる。すごく、かわいい。

 

 地面に程近い面をあげて、見つめる瞳。不細工に駆ける、短足。弱さ故か、高くて甘い鳴き声。

 

 ロシアンブルーとか、黒猫とか、少し緊張する。

 彼らの、生きる雰囲気に知性を想う共感性。彼らの瞳は、ぼくの選択した生き方に、疑義と非難をもよおさせる。

 少しだけ苦しい。

 少しだけ切ない。

 

 もう少し、この選択を、遊ばせてほしい。

 あと少しだけ、マンチカンを好きでいさせてほしい。

 

 ほんとうに大切なものに、思惟を傾けないことを選んだ、僕より。

女切り、また辞める

 ガチ恋の風雪厳しく、閉じこもる。幾度目かな、「もういらない」と涙ぐむ。

 

 なにも手に入らなかった、永いながい時間が経ってしまった。

 これを諦めたなら、人間全般に興味がなくなる。愚かで虚しい。だからこそ一層輝かしくみえる愛し恋し、人の情。これを知らずに、人として生きるのは、あまりにも、あまりにももったいない。

 

 テキトーな対象では我慢ならない。外見を一般で取り繕ったドス黒い塊に恋するなど、ぼくにはできない。

 でもそれは、まずほとんどの女性を、結ばれる対象から除外することと同義で、自分から動くことをほとんど不可能にしてしまう。

 

 けれど、欲しい。だから、動きたい。でも、対象さえ見つからない。いても、画面の奥の向こうの向こうにしか。

 

 

 

 存在の探究に、瞑想を手段として選んだのなら、捨てるより他はない。邪魔で邪魔で仕方がない、淫蕩への焦がれ。淋しさの埋めあわせ。

 淋しさを引き受け、独行に集中しなければ、知識の前提となるサマーディには、ほとほと届かない。

 

 捨てる、捨てる、切り捨てる。想いを引き剥がし、断ち切る。

 切り捨て御免の千本撃ち込み。疲れは意気地を弱らしめて、ずぶずぶ沈む。

 

 一夜明け、直る姿勢。

 つまるところ、ぼくを苦しめていないのは、欲求を達成できない時分に、「未熟者」「弱者」と自らをなじるからであって、なじることなく、軽んずることなく、テレオロジカル(目的論的)に遊べるのであれば、問題は解消される。

 

 また辞める。また辞めた。

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旅で明らかになる生活信念

 日常を滞りなく生活するぼくらは、日常より離れて、はじめて日常が前傾することを知れる。

 

 就寝の最低条件としては、空調と仕切り、欲すれば、ある程度のやわらかいマットと静けさ。これで十二分に達せられる睡眠欲。空気が新鮮であればなお良い。

 

 食事。基本どうでも良い。せっかく遠出したのだからと、グルメを装ってたのしもうとしたのだけれど、ぼくには必要がないみたいだ。食べもののために電車に乗り、歩き、地図で確かめる。待つ。食べ終わって後悔する。

 喉元過ぎれば、なんとやら。繰り返す。後悔する。

 ハレの祝いとして赴くぐらいでちょうどいい。

 

 ほんとうに現地に行き、感じ得たいものは少ないということ。駅のほど近くの観光案内板。下車の道なり、道標。歩く。乗る。感じ得ない。感動が来ない。道なりを移動した時間への後悔。

 基本的には、書物、YouTubeで充実する。旅に出て図書館に引きこもる、無駄の極みをやってのける。

 

 景勝、神社仏閣。リトリート、人間関係のアジール。遁走と内省と思惟。新しい日常を切り開く計画のため、日常のために犠牲にされた心身の不定愁訴の治療のため。巡り散らかすものではない。飽きる。

 

 分かっていながら同じことを繰り返している。

 エコノミックアニマルとして育てられたこと。経済界の要請が政治、教育にダイレクトに浸透し、機会損失と損失回避。物事の一々に対して価値化することを要請する空気を、あまりにも長く吸いすぎた。

 

 ひとつひとつ、明らかになる問題。自分を造る諸々の信念たち。自分のかたち。

 

 

エリート、支配者ならびに実力者批判の虚しさ

 熱が冷め、他人を考慮する余裕を取り戻して政治に向きなおる。

 支配者被支配者の二項対立。道義を手にとり投げつける。YouTubeという一般向けのプラットフォームから思惟しているからか、そう言った論調ばかりが目につく。

 

 エリート、支配者を生み出すのは我らが母体。我らがかもすその空気を存分に吸って成長した彼らだ。

 我々は他人の指摘を素直に検討できるだろうか。我々は耳目正直だろうか。

 

 どんな英雄、歴史的人物も、感情の面では凡庸であったと、瞠目した、学校の机の昼休み。そんなことをおもい返す。(ギュスターブ ル ボン、群集心理)

 

 ブルーロックにハマった5月。(W杯優勝のため、最高のストライカーを高校生を集めて育成するマンが)

 ある目的性をもつ集団の高い価値をもつ者に対して、それにつばを吐く価値をつくる意いの担い手。自ら担いだ御輿に毒づく虚しさ。

 

 温泉でゆったりとした心地のなか、今一度政治を想うと、どう思うのかな。

 ワーキングプアあふれる日本で想う。

 

 

 

意識レベル。違う、恣意の対象のみが在る。

 我想、我見、臆見、雑念にほろほろ、翻弄された労働より思う。

 

 どうも、適当に語られる意識のはなし。ベータ、アルファ派がどうとか、精妙、粗雑な意識とかとか、的を得ない表現の多いこと。

 

 ただ、恣意の対象のみ。恣意する可能性が多ければ、それだけ細やかに。可能性が少なければ、相応の程度におさまる、身心の変性。

 

 恣意する可能性が広大にも関わらず、繊細な変性に軟入しないのは、日頃の恣意の対象がぼんやりとして、ガチンガチンな身体であったり、今日のご飯なんだろうとか、あー今日はあれもしないとなぁ、とかとか、可限的な対象にうすぼんやりと、しかし長いこと、気にかけ続けてきたが故に、計算機としての速度、クロックサイクルがローギアもローギア。錆びつかないけれど、動いてるだけの、資源のあまりにももったいない使いかたをつづけているからだと、ぼくは思う。

 

 対象への集中を欠いているのではなし、ただ、普段、目を向け、耳を向けるものが、貧弱な情報量しかもちあわせていない。貧弱にしか観ようとしない。その態度のツケが、今朝のぼく。