ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

霊感男子の懊悩〜繊細さんの一例

 気を学び、練り、気づいて、もう何年か。人間の感覚を細やかにすれば、誰もが辿り着く1つの世界解釈。

 苦しい。逃げ場がない。自らの本質を知らぬが故に、自分と他人、自分と世界の境界性が曖昧で、なのに、感覚的に実在し、それを認めれば精神病で、社会通念を越えて感覚し、理性的にあろうとしても、錯覚、僕が感覚するこの世界の実在性そのものに、思惟を及ぼせば、すごく胡乱で、認識されたものを落ち着かせる場所がない。要するに、世界はあれど、ないに等しい。

 明らかに、外部よりもたらされると感覚する、怨み、哀しみ、怒り、性欲。触覚的に外部に形をもち、そこより流れ出で、この身心に入りこみ、悲喜交々の情感に変化し、この身を苛む。目を閉じていると、人の顔までみえてくる。

 東京に、なしたいことをなしに来たのに、2週間、引きこもっている。ネカフェは狭く、匂いがきつく、南京虫、イエダニに噛まれ、空調は身体に合わず、風邪もひき、一畳一間に身体と心とを押しこめる。

 精神科にかかるか、田舎へ逃げるか、江戸川乱歩の如くにすべてを棄てるか、いっそ死ぬか、陰にも振り切れず、陽にも振り切れず、宙ぶらりん。なにをなしたかったのか、それすら思い出せずに、呆然とする。欲こそが世界を割って、実在性そのものの根拠となりえるものなのに、それすら…。

 想いもひとしお、落ち着いて、これからどう展開するのか、期待にふくらむ。

 意いの胡乱さ、展開の疾さたるや。