ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

淋しい、孤独への永い忍耐〜保江邦夫の霊性論

 朝寝は長く、寝ぼけまなこで時間を確認する。ヤバい!講演会に遅れる。身支度を整える間もなく、蒲田から春日を目指す。

 保江邦夫氏の家元放談会、霊性の向上をテーマに、2時間の独演を行うそうな。著書によく出る秘書の暖かな受付を経て、保江邦夫の登壇を待つ。

 彼は嫌いだった。武術の鍛錬を始めて、図書館の蔵書を漁り散らかしていた時分、彼の存在を知った。当時、憧れは高松寿嗣やら、牛島辰熊、一瞥で人間を殺傷しうるほどの殺気を求めて、鍛錬を積んでいたため、彼ののほほんとしたテキトウな雰囲気は、軽蔑と嫌悪、道を同じくする者として、覚悟と気合い、それより生まれうる覇気に、豪気に欠けて、嘲ったのち眼中から消えた。

 が、高岡英夫のゆる理論に熱をあげて、人間として到達しうる、幸福の極みについての熟慮を凝らしはじめて、その果ての思議不可能な体験の数々に出くわしはじめて、彼にひょっこりとまた合った。

 驚いたなぁ。奇跡と習うその解釈に、困惑に暮れていた時、彼の言葉はすぅっと沁み込んだ。理性は、理性によって鍛えられた世界解釈の体系的信念は、それを免疫システムの如く拒み、攻撃したが、それは反知性主義への警戒を残しながら、ゆっくりと解体され、残り香を漂わすのみとなった。

 そんな経緯から、彼の言葉に一聴の価値を見出して、今日彼の魂魄を身近に、そのオーラと身振り手振りとを観察する機会を得たわけだ。

 文京シビック小ホール、最後尾のど真ん中から彼を観た。第一印象として驚いたのは、立派な武人であるということだった。映像からは、憎めない陽気なおじさんと言った、恬淡とした印象が強かった。無論、腹は据わり、四肢はよくのび、ゆるみ、自在に近い境地であることは知っていた。が、実際の彼は、講演会といった場所もあってだろうが、隠されたその強靭さ、意志力。そういった、武人の素養の完成度の高さが目についた。彼の眉の形、厳密に言うと額のゆるみによってもたらされる、頬の緩みと目力が、それを教えてくれた。すばらしいな、文人、武人として高い練度を持ちながらも、それにこだわることなく、陽気に明るい。彼への一瞥一見は、3,000円の価値を遥かに超えて、もう満足に笑った。正直、もう帰っても良かった。が、もったいないお化けにそそのかされて、もうちょい座る。

 彼の放談は書籍に近しく、ぼくは音への瞑想に注意をさいて過ごした。

 彼の話を要約するに、霊性向上の基礎は孤独にあり、宗教は派閥闘争に忙しくてあてにならず、信ずるべきは、己が肉体の反応と、行為によってもたらされる結果のみ。さらに凝集するなら、生き生きと生きよ、ということだろう。

 放談はお開き、ぼくは帰路にぶらつく。東京ドームの脇を通る。ライブがあったのだろう、巷でかわいいと形容されて然るべき格好の女性たちで、ごった煮されていた。ぼけっとしていたら、彼女らの行列に絡め取られ、ぼくは言いようもない、わずかで淡い不快と孤独を感じ、それを厭うて小径にそれて一服する。

 月がきれいだ。ハンターズムーンっていうんだっけ。そういえば今朝、瞑想で白麒麟を観たなぁ。今日、起きれたのも偶然かなぁ、それとも守護霊さんのお陰でだろうか。女の子たち、かわいいなぁ。でも、かわいいってなんだろう。かわいいも霊も同じくらいわかんないなぁ。淋しいなぁ。なんでかな。言挙げる情意体として、感じ、情い、考える、私として、主客分離の言語界に甘んずるものとして、これは当然だなぁ、然り、然り、如是然りたはぁ、孤独は永く、面倒で、でもどこへもいけず、帰り道は忘れてしまった。どこへゆこうか、道も知らずに。そりゃ淋しいわ、人間だもの。うひゃあ、みつおだ。怖。

 タバコは吸われ尽くし、火がむかえる暑さで、我に帰る。ここもまた、淋しさの基地に他ならぬけど。

 腹をすかして、電車に乗る。空腹のせいかな、この淋しさは。そうだといいな。

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