ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

初の中抜け勤務

 今日何を成したいのか、三分間の黙想(小学校で習い覚えたもの)の後、出勤。

 朝食の配膳の合間に、残飯のパン、無料サービスのコーヒー、アメニティの櫛をすくねる。無料のものだからと、未来への自分への配慮を忘れて、いや、無視して盗む。

 午前の勤務後、一服の友として残飯を食す。淡い罪悪感、きっと釈迦ならば、このようなことは致すまい。何より、引きこもりから社会へ参画する際、ルールあるところに自ら足を入れるときは、どんな不条理であれ、ルールにのっとたやりかたで、行為を修すると決めたのに。

 もうやるまい。今読みかけの、ルソーの告白録には、奉公先での盗みは児戯、として許していたが、僕と彼とは違う。僕のゴールは、この盗みを許す余地を与えてはくれない。たとえ、一日一食で空腹の状態であってもだ。

 夕食の配膳業務に就く。コースディナーであるために、何度も卓に寄らねばならぬ様だ。わずかに億劫と感じながらも、気を取りもち業務に集中を試みる。

 続々と来訪する客人たち。友愛を脳裏に想いつつ、案内をすませ、コースの特徴を語り、配膳する。

 料理の説明を、正直にわからないと、あっけらかんとして告白すると、とても心地よく笑ってくれる人がいた。愛想の良い老夫婦に絆されて、心からの親愛の笑みを浮かべると、ただの客と使用人の間柄でしかないのに、真の家族の如き愛情で繋がった気がした。感謝の言葉がなくとも、満腔の謝意を、雰囲気で表現する稀有なる人がいた。

 一方で、奉公人風情とは、一切のコミュニケーションを断絶する、という決意を胸に秘めているであろう人もいた。面白いなぁ、楽しいなぁ、豊かだなぁ。

 労働は労働でも、床に這いつくばって、8時間のヤスリがけをしていた労働とは、なんとも違う。社会的動物として生まれ、教育され、自らその様に志向したことを、強く実感する。

 労務から解放され、一服。先の豊かさに酔いしれた。