食器を洗う、配膳を行う、床を擦る、シーツをひく、まくらを入れる、ごみを出す。
毎日8時間、行うこと。
引きこもりから社会へ遊ばんとしたとき、まず蹴つまずいたのが、単純労働だった。
あまりにもきつかった。嫌悪からくる吐き気で、死んだ方がマシと、くり返しくり返し毒づいた。くり返すほどに、体内で生成させる毒素の濃度は高まり、心の解毒作用は、オーバーフロー。生気は溶けて、ながれでて、きっと気化して宇宙に溶けた。
すると、ぽつりと思う、死のうかな。マジガチの死相を表してた。
ぼくは、自らが最も嫌悪してきたものたちを知ろう、と働きはじめた。ほしいものがあったからでも、社会的体裁や、迷惑をかけた家族への恩返しからでもなかった。ただ、知識欲。
よく死ぬためには、彼等の如き、愚衆について、より深く、丁寧に知る必要があった。故に、武術のさまざまな修行で胆を練り、不動心を修習し、万全とは言わぬまでも、相当の準備を積んで、その単純労働に努めた。
人間性の破壊。修練場、真正面の扁額。目指すべき境地が示されるあの場所に、きっと、人間性の破壊、と書いてあるに違いない。
でないと、同僚の顔があんなにも無感動なことに、辻褄があわない。これが、人間なのか。どうも、死んだ方がだいぶマシなように見える。
彼等の1日は、くり返しが9割、残りの1割が苦痛、たまに喜び。そんなふうに見えた。
うちは〜毒、そとは〜ごみ。逃げ場のない8時間。どのようにすれば、その8時間を、よく生きられるか。乱読熟慮の結果、禅、が興味をひいた。
祖師西来意、これは効いた。木に口でぶら下がる坊主、そこに流浪の僧やってきて問う、なぜ達磨はインドからシナにやってきた、と。禅宗の根本義、応えなければ、坊主として選び続けてきた選択が、無価値と化す。応えれば、命と引き換えに、これまでの選んだ生き方に沿える。さて如何に。
道元は想った。木に口でぶら下がるままに、と。木に口でぶら下がる時節には、木に口でぶら下がってればよいのだと。
縁起。存在の本質は存在せず、条件と条件が、重なりあうままに。このひと時が、ひと時たりえるのは、無数の縁なるままに。
平等。本質はなく、機能あるのみ。心を鎮めて、状況を観察する。価値を判断せずに、はたらきに気づく。
縁起、という存在に対する態度、それが導く他者への当然の態度としての平等。成程、存在について、形而上学的考察が、妥当性をもち得えぬ現状では、最も妥当、適当に思われる信念だ。
実修して気づく。とても楽だ、と。
これまで、egoismから誠実に行動せん、と心がけていた。モナドだか、プシュケだか、個人だか、アノミーだか知らんが、内と外とを分かち、内なる均衡と、外なる均衡とを調和させることを第一として、他人へ応対をしてきた。
当然、ぶつかった。いや、嘘だ。ぶつかることすら、叶わなかった。自らの義を述べる機会、幾度あっただろうか…。彼等は、ぼくを人として、みていてくれただろうか。みようとしてくれただろうか。
彼等から望まれた有り様は、四の五の言わずに、遮二無二働くこと、愚痴に共感し、痴愚ハグに口を動かすこと、それだけだった。
僕にさも、全体性、人間性が備わっていないかの如くに扱われた。無遠慮にではない。丁寧に扱おうと努めた上で、みえていなかった。
この事実には、戦慄した。これでは、闘いようがない。いかな人人でも、相手がおらねば、勝利も、調和も、しようがない。
彼等は、自らを統覚するという意欲を欠いていた。僕の定義では、人間ではない。そう、社会に出るまで知らなかった。僕にとっての人間は、この社会では極々僅かなのだと。
練り上げられた哲学は、社会と相対して、独り空を斬った。ぬかった、自己への言及には、細心の注意を払い、探究をおこなってきた。が、自己が対応を想定する他人、社会に対しては、事実を観ずに、空想にあそびすぎた。空想であることにすら、気が付けなかった。
egoismを、思索の対象から外すことはあり得ないが、この虚、このやり場のなさ、これらに立ち向かう為の、新たなキーワードタームが必要だ。
その要に、立ち現れたのが釈迦牟尼。生に苦しみ、死に苦しみ、最後は生死を越えた、細心の偉丈夫。