ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

とびきりの無能、なんにもできない

 困ったな、人の、社会の役に立ちたいと、高いモチベーションで勤務しても、どうにも単純労働は成長し難いようだ。何度も何度も何度も間違える。

 今の今しがたの労務は、ただ荷物のバーコードをスキャンして、画面を確認し、所定の場所に送り込むだけなのに、どうにも画面の確認を忘れて、サブリーダーの仕事を増やしてしまう。こんな簡単なことなのに、画面を確認するだけなのに、それができない。忘れてしまう。

 これまでのバイト先でもそうだった。清掃、土木、飲食、どこも、どこでも、高いモチベーションをもち、YouTubeで作業能率の向上を目指す学びをしていながら、活躍できない。役に立てない。

 特にひどいのが工場での単純作業。禅の作務に習いて集中を研ぎ澄まそうとしていながら、まちがえること、まちがえること。どれも短期のバイトゆえクビになったことは一度もないが、きっと長期前提の雇用であれば、最初のひと月でお役御免のお払い箱行きだろう。

 向いていない、プライドが吠える。けど、そうか?どんな場所でも、咲き栄えると決めて生き始めたのだ。事実がどうあれ、今成したいことに注力するのみ。

 単純作業で役に立つにはどうすれば良いか。飽きること、反復に次ぐ反復にちがいを見いだす。それは今までもやってきた。が、集中の対象が良くないのだろう。自分の体性感覚や、悪の心性にフォーカスがなされ、作業そのものに注意が向いていない。それを改善するためには、静かである、まったく静かであることに耐えて、勇気をもって入らねばならん、禅定に。こわいんだよなぁ、日常であの静けさに入ると、人の眼の一切が気にならなくなる。そうすると変人認定をされて、嫌厭される。はは、こんなことを恐れているんだなぁ、ぼくは。

 味わうこと。瞬瞬間間、意識を朗々と照らして、ふれあうもの、その対象の一切を味わいきりたいという姿勢。その動機は感謝。自分で作った訳でも、育てた訳でもない、あらゆる縁によって育まれたこの自分と、自分が認識できる世界、まるっと愛し赦して、さらによく生きたいと望むこと。その心は、感覚を研ぎ澄まし、認識を広げて、物事の機微を丁寧にひろう、すばらしくやわらかな時間を演出する。この時に入れるよう、静かに勤める。

 でもなぁ、これらも大分、勤めてきた。なのにこの実力。積極姿勢は崩さぬけれど、とほほもとほほ。役に立てぬのなら、いる必要がない。

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