ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

自棄の現れ、誠実な動機と不誠実な結果、その奥にある情念について

 今、夜勤をドタキャンした。理由は、列車に乗って気づいたら持ち物としてあるべきはずの軍手を忘れていたから。ふぅ〜と一息、電車賃もったいないなぁと浜松町駅で下車、東京タワーまでぶらつく。

 理由もなく、笑みが吹きこぼれる。なぜだろう、因果の遡及を始めだす。

 この仕事への応募の動機は、前回の労働時、もう一度来ます、とぼくに良くしてくれた先輩への約束を果たすことが主たる目的だった。12時間労働で日給は良いが、それに見合わない3K +騒音付きのヤバいところ。それでも、彼に誠実でありたいと願い、引きこもりを脱し、決意をもって応募したのにな。軍手一個忘れて、諦めた。あぁ、そうか、放浪記だ。林芙美子だ。彼女の世間様から見た不誠実さ、奔放さ、それらは自棄の、社会とそれに属する自分自身への絶対否定の精神に由来するんだよなぁ、なんて思ってたのが、ぼくにもまだ残ってたんだ。自棄の精神の根深さは、本人の思索の程度による。かつて、社会の有り様を憎み、そのような社会を容認する自然を怨み、その様に怨まざるを得ない自分自身を存在させた世界を怨み、怨みに怨み怨む気持ちすら萎えて枯れば、死ぬより他は存在しない認識の中、死ねない自分を怨んで怨んで怨み抜いた。でも、死ねなかったなぁ。それから先、生きるより道がなくなった後も、怨みを動機として生活、勉励、修行を重ねてたのしんできた。その業は、少しの傷でヤケになる、諦めて死なばいいや、といった死を内包し生活をする'ふつう'の裏にひっそりと隠れ潜んで、このように現れるんだなぁ。はは、困ったなぁ、わらうわけだ、たのしいわけだ。死を向いているんだもの。神を信じ、霊を信じ、形而上学に決着をつけると決意したものの、かつての業はなかなかにぼくの心を離れたがらないらしい。ふぅ〜、でもやりようはある。一歩一歩、一歩一歩、誠実に生きる福徳と、不誠実に生きる悪徳とを思索し、行為し励み、サマディを目指し達して、生きながらに死に晒し、死を妄想を超えて体験、その本質を直覚し、人生のよろこびについて、他人の言を参考に体験に体験を重ね重ねて、思索をもとに'ひととして味わいうるよろこび'、を明らかにして実習実験を終えたなら、自棄の精神は自ずから瓦解する。何年の、何十年の時を経ようと、ぼくにはこれぐらいしかやることがない。だって、死ねないんだもの。死ぬよりましな生を探す以外に、ぼくにはなにもない。きっと、どんな社会的な富も、肉欲も、ぼくを死への魅惑よりは救えない。しょうがないから、一歩一歩一歩一歩一歩一歩、歩いてゆこう。

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東京タワー、キラキラ、きれいだな