ひきこもりから、社会にあそぶ

常識を壊して、常識にあそぶ、常識を創る

ドタキャン、二連撃、胸を衝く。

 なぜまたもドタキャンしたのか。考える。

 

 悩んでいる。なにに。東京で、幸薄く、雄大と崇高にとぼしいこの東京で、格闘技の道を歩むか、ゆるやかであたたかで、崇高さに心躍る土地へ、派遣会社の手を借りるか。

 ぼくがやらなければ、1日、また1日と、苦しむ他人の皮を被った私が報われない。彼らを救うことは出来ずとも、彼らに道を提示することならばできる。夢と称して、承認と自己顕示の砂漠に身をやつす彼等に、もっとうるわしく、ゆたかで、あたたかな道を示すことができる。明治維新の頃、国を背負いて、私が為さねば国の進歩が、と気負うた彼等のことを思い出す。つい、急いてしまう。これまで、その気持ちに光を当ててこなかったから。当てても、気づかないふりをしてきたから。他にやりたいことがあるといって。

 

 苦しい。工場労働の単調さ。修行と息巻き、やるときは真剣に向き合って、真剣に向き合ってきた。全体に澱む諦念の空気に、あたたかな心を求められないがゆえに、あたたかくある必要性を失った心に囲まれながら、勤めて明るく、元気に、彼等の心に少しでもあたたかさを写せるようにと、沈ませんとする空気に抗いながら。でも、苦しい。自分の善意が響かない、その端的な事実は、勤めるたびに胸にくる。やめられれば良いのだろうけども、他者への無関心といった荒涼とした心へは戻れない。戻りたくない。現状においては、工場という労働環境のうちにおいては、明るい善良さは自傷行為に等しい。他人からの、明るい返答を期待する自分の未熟こそが問題なのだけれど、怒りと停滞、表には現れてこない深い絶望の空気の中で、それを、その心性を確定させるほどに、ぼくはできちゃいない。

 自分の傷を治そうにも、現実の対人関係にて癒やされるのは、たまの母とのLINEだけ。たまに霊から、天から、とろける心地の極上のやさしさを頂くことはあれども、霊的な世界を信じきれていないがゆえに、このやさしさは、疑念によって食い尽くされる。

 

 哀れみ。有名を凌駕する、知識と技量をもつ自認するが故に、現状、自分の価値に無理解な、つまらぬ人間の下で、つまらぬ仕事に励み、つまらぬ生活のための維持に勤めなければならん、という愚痴が、何度も何度も何度も何度も心に浮かぶ。はじめて働いたのはいつだったか。その頃よりの、長い長い、進歩しない愚痴。こんだけ言ってんだから、もうちょい巧い口上にでもならんかね、まったく。そんな愚痴さんは、でてきたが最後、ここであったが百年目、殺されるか、無視されるか、感謝される。が、そのように応答しては応答して、応答に応答を重ね続けていると、ふと、淋しくて、哀しくて、やり切れなくて、叫びだしたくなる。しなだれ、もたれかかりたくなる。切なさは、労務に励み、自動機械と化した、身体の一連の流れを停止させ、涙ぐませる。誰にも気づかれたくないし、そんな甘さを、世界への淡い期待を維持し続ける自分が嫌いで、そんなことは、そんな心はなかったことにする。

 でも、これ、日に数度、多い時は四六時中、そんな心になる。無視し続けるのもしんどくて、でも期待は外れる哀しみを孕んでいて、保持し難く、どこに心を置けばいいのやらと、泣きむせぶ。

 禅によって、無常によってケリはつくのだけれど、無常の立脚地には細心の注意が必要で、哀しみでも、よろこびでもだめで(よろこびは、期待を呼びこみ孕み、冷めて凍えるから)過去を越えて、未来を外れて、今なる円相より戴かなければ、未来へ負債を積む羽目となる。

 

 風邪、倉庫寒い。

 

 しあわせに生きることへの、淡く、決定的な絶望。ぼくはこれから、ますますしあわせになる。福を得る。この確信は、哲学と人間の身心の探求より現れたもので、疑い難い。が、そこより観える展望は、世間に膾炙した、身心と存在の形より遥かに精妙で、それに見合ったよろこびを得られるのだけれど、苦しみからは逃れられない。

 苦しみこそが、生に価値を、望みを与える。そこに、淡い痛みを感じる。

 苦しみの彼岸は、存在を仮定できる。ヨギーのいう、純粋状態へ帰る。それがこれだ。だけど、そこに価値はない。甲斐もない。ただ、在る。それだけ。そこに留まり続けるのなら、至福を味わい続けるのなら、自殺だ。涅槃と呼んでみても格好がつくだけで、人の形をした甲斐がない。

 人として生まれ、呼ばれ、育まれた過去の一切の否定。その過程は受容的態度によってなされるけども、人の形自体を志向しない、人への絶交、絶対の距離へと離れゆくその意志は、長くて永い、淋しさによって維持される。よろこびの開発によって、そこからは離れるのだけれど、そこまでの過程は侘しい。

 だからかな、ぼくは禅的なるものの様式美、好きで嫌い。心から大好きだけど、離れたくなる。みると、ツラい。

 苦しみに応対する力があれば、それはたのしい。けれど、飽く心は発展を望み、望まれた未知は、慮外の趣きをかもすばかりで、力を減ずる。その時、苦しい。望めば、解決され、よろこぶ。でも飽く。くりかえす。くりかえす。何度も。ほんの少しだけ、哀しい。

 

 ドタキャン、この一つの行為に、色とりどりの想いたち。豊かで趣深い、良い時間。